お久しぶりです。 Y3です。
今回はY3の持病、潰瘍性大腸炎に
ついて話していきたいとおもいます。
一時は社会復帰出来ないと勘違いを
してたけど、今はわりかし元気。
潰瘍性大腸炎とは
まず、ざっくりと潰瘍性大腸炎について書いていきたいと思います。 が、詳しいことはググってください(笑)
前首相の安倍晋三氏、タレントの高橋メアリージュンさんなど、最近は有名人などが病気を公表されており、知ってる方も多くいると思います。
病気の症状としては、自身の免疫の以上で腸を攻撃してしまい、大腸内に炎症が起き表面がただれたり、潰瘍ができます。 腹痛と便意が頻繁になり、下血を伴うことがあります。排泄物の通り道が炎症で弱っているので排泄物に痰のようなものが付着したり、血が付いている場合もあります。
潰瘍が肛門に近いほど付着する血液が鮮血で、黒ずんでいると直腸から遠い箇所も炎症が起きていると判断されます。肛門に近い直腸に炎症があると、便意を我慢することが出来なくなります。
発症の原因は、食べ物の影響や、遺伝、ストレスの影響との見解もありますが、原因がはっきりしないため難病指定を受けています。 しかし、患者数が20万にもなり金銭的な補助は他の難病と違って少額で、症状が長く続く人は、他の病気(ガン等)の確率も上がりますし、負担がおおきくなります。
症状が進行していくと人工肛門をつけたり、大腸の摘出手術が必要になるなど重症となる場合もあるので、気になる方は大腸内視鏡検査を受けてみるのも良いと思う。
もともと腸は強くなかったと
記憶しているが、発症してからは
社会生活が送れなかった。
仕事中に粗相が起きるから、おむつを
履いていたし、そのストレスでまた体調が
悪くなるというループだった。
なった経緯みたいなもの
潰瘍性大腸炎は原因がはっきりしないので、発症時の環境を書いておこうと思う。
当時は、土地家屋調査士事務所で働いていた。 業態的に、正社員としては働くことが出来ないので、アルバイトとして働いていたはず。
土地家屋調査士は土方士業と呼ばれることもあり、外業内業ともにこなさなければならない。 ハウスメーカーや、施主さん、地権者とのやり取りも多く、やりがいはあるが独り立ちするまでの修行、といった感覚で働くので、仕事内容の割に待遇は良くない。
残業も少なく、休みも多かったので身体的にはきつくなかったが、小さい事務所ならではの人間関係というか、社長との関係で精神的にストレスが掛かっていたなと今は思う。
半年ほどは順調に働いていたが、秋ごろから微熱が続くようになり病院にかかったが、特に以上はないとのことで、抗生物質が処方され帰宅した。
勿論、体調は良くなることは無く、12月ごろからは倦怠感、発熱が続き、トイレの回数が二桁になっていた。 ここまで来ると、自分で大方の目星をつけていたし、お腹が痛くなるので絶食していたこともあり、病院に掛かる前から電話で内視鏡検査をしたいとも伝えていた。
外来にかかりその日の午後に大腸検査を実施、病理診断?で数日かかると言われていたが、劇症とのことで、翌日から入院することになった。
お腹痛すぎて毎日20回くらい
トイレに行ってた。
仕事もまともに出来ないし、
夜はトイレで寝てたな…
当時の心境
年末で正月休みになった日から40日ほど入院していた。 入院する前は(やっと寝れる)と心底思っていた。 病院に掛かる前からネット検索して、なんとなく自分で潰瘍性大腸炎だと思っていたし、いろんな情報を見ていた。
良くない事例ばかりが記憶に残ってしまい、このまま正規で社会復帰することは難しい、むしろ健康に働いて居られる期間なんてあるのか?などと考えていた。
年末も正月も病院で迎えて、仕事は休職。 給料は出ないし入院でお金はかかる…金銭的な心配をしていた。 が 結果、入っていた保険や高額医療費制度のおかげで、思っていたよりは支払いは少なくて済んだ。 これは本当に制度に感謝している。
入院しているといっても内服で治療なので検査などがある日以外は基本的に暇。 そういった時に不意に不安にかられるのがいやで、普段はまったくしない読書をしてみたり、病院の周りを散歩して気を紛らわせていた。
しかし気分転換の散歩中に、何度も粗相をしてしまい本当に悲しくなった。 汚れたおむつを病院に持って帰る。お風呂も決まった時間に申請しないと入れない。 一時的とはいえ、当たり前に出来ていたことが出来なくなる事は悲しいことだった。
年を重ねて、体が衰えていく時って
こんな感覚なのかと思った…
症状の変化
入院してから最初の2週間程はあまり効果みられず、内服を増やす事になった。 ステロイドなので投与量や期間に制限があり、一定の量を投与して改善されなくても投与を辞めなければならない。
4週たったくらいから、目に見えて症状が良くなってきて最終的には一日のトイレの回数も7回ほどに落ち着いてきていた。 発熱は入院してからは37℃くらいまでで済んでいたが、体の倦怠感は全然かわらなかった。 いつも腕とか足の筋肉が痛いような感じ、これは個人差があると思う。
入院中は食事量も多くは食べれなかったし、消化に良いものしか食べれなかったので、10キロほど痩せて普通の体型になった。半年で戻ったけど…
6週入院後に退院して、そこからは通院をしていたが3ヶ月ほどは無職だった。 寒い時期に退院したが、寒いとすぐに体調を崩すので、通院しているが症状は停滞ぎみで、気持ちも晴れてなかったかな。
なんとか6月くらいに仕事についたけど、その仕事をしていた2年間は今になって思うと、体調は悪かったと思う。
- トイレの頻度、1日に5回以上
- 便意を我慢できないので仕事中はオムツ
- 外出先のお手洗いが心配で、お腹が痛くなる
当時は病気だし、慢性的に体調が良くないことは仕方ない。 休んだらもう社会復帰は出来ないかも…と考えていたので、だましだまし仕事をしていた。 結局は体調崩して退職。 その後、今の職場に転職してしまったが…
現在の職場になってからは、体調はかなり良くなっている。 基本的に仕事は一人で行うし、好きな時間にトイレにいける安心感はほんとに大事。 トイレに行けないというストレスは、体調に大きく関わると実感している。
数分の仕事の遅れは自分で取り返せばいいので、お腹いたいなと思ったらすぐにお手洗いに行く。そうしないと、(お手洗どこにあるかな、混んでたらどうしよ…)等と考え始めると、どんどん状況が悪くなるので。
今はお酒も少量なら飲めるし、食事に関してはほとんど気にしていない。むしろ油の多いラーメンとかも平気で食べられる。 次の日は普通に下すけど、他の人と大差ない感覚。 潰瘍性大腸炎になる前というか、幼少期から牛乳を飲むと下すので、豆乳に変えたくらいで他は気にしていない。
遺伝、クローン病
潰瘍性大腸炎になって診察の時に、身内に消化器系の病気持ちは居るかと聞かれた。 当時は自分だけであったが、両親に入院した事を報告した時に意外な事を聞いた。
【妹の体調が悪く、母が上京してきていた】
なんの因果か、Y3の妹も体調が悪く病院にかかっていたが原因がわからないので、心配した母が田舎から上京してきていた。 症状はY3とほぼ一緒、妹は幼少期からいまでいう過敏性腸症候群のような状態が常だったので、発熱などは切り離して考えていたようだ。
妹はなかなか病名がはっきりとしなかったが、Y3が退院した後には妹にはクローン病と診断がおりた。 潰瘍性大腸炎との違いは、炎症の出来る範囲で、
- 潰瘍性大腸炎は大腸のみ
- クローン病は消化器系のすべて
といった違いがある。ともに発症者の親族もかかる事が多く、遺伝も要因だと考えられている。
Y3も、妹も近くにかかれる消化器系に強い病院があったこと。体質に合う薬が早い段階でみつかった事は幸運だと思う。 しかし発症時の年齢が若いほど、病気の進行も進むという事も言われており、クローン病は、眼球などにも異常が出るので妹には体調に気をつけてほしい。
妹もなんだかんだ良い人が
見つかって、家族一同、
相手には頭が上がりません。
ありがとう。宜しくお願いします。
今思うこと
人種的な事、欧米的な食事、乳製品、遺伝など言われていますが、 Y3が潰瘍性大腸炎で体調に関係すると思っているのは精神的なストレスが一番です。 治らない病気になってしまったものはしょうがない。 自分も辛いけど、周囲やこれからの事の為に前を見よう。
もう体調が悪くならないように、自分で環境を整えて行かないと世間は厳しい。 転職活動時に病気を告知した会社はどこも受け入れてくれなかった。 現職には告知しないまま入社した。体調不良で休んだことはないし健康診断も乗り切れる。
ある部分で過酷だと分かっていた現職でなんとか社会復帰も出来ているし、これからも、もう少し自分が過ごしやすい環境を得るために、自分が変わるしかないよ。
潰瘍性大腸炎もだいぶ増えてるし、
症状の度合いによっても違いますが
Y3の場合はこんな感じで今は元気。
一例として受け止めていってね。
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